ご相談例

脳梗塞後遺症 人格変化

ご相談例

脳梗塞後遺症 人格変化 50代男性

訪問看護前

高校卒業後、上京して警備会社で真面目に勤務していました。父親の逝去にともない30歳を過ぎて帰阪し、引き続き警備会社の仕事に従事していましたが、48歳時に仕事中に脳梗塞を発症し倒れ、一命は取り留めましたが左半身に軽度の麻痺が残り、仕事は退職となりました。
以後障害年金を受給し、母親と二人で暮らしていましたが、2年前に母親が逝去し、自宅に引きこもり一人暮らしとなっています。母親が亡くなる前に本人を心配し、掃除のためのヘルパーを派遣していましたが、本人は全くヘルパーとは関わらず、自室内で叫び声をあげることが続いていました。そのため、ケアマネージャーより当事業所に連絡あり、本人の兄を含めて今後の対応を検討し、訪問看護の利用の方向に向けることとなりました。

訪問開始後

訪問開始時には髪や髭は伸びっぱなしで一部張り付いており、爪も伸びて巻いており、本人の衣類からも尿便臭が強く漂っていました。また、母親の逝去後2年、入浴もしておらず、皮膚落屑は著明でした。
ヘルパーが掃除できる範囲は一見きれいに整ってはいましたが、部屋には新聞紙や衣類が散乱し、悪臭が強く漂っていました。内科から処方されている内服薬も全く内服出来ておらず、高血圧・高血糖状態で、セルフネグレクト状態でした。食事は週に一度兄が差し入れるカップラーメンを一日2個摂取し「食べたいものも、飲みたいものもない」と表現し、呆然と自室内でTVを眺めているだけでした。

まず手始めに、精神科を同伴受診しましたが、待ち時間に苛々が募り「もう帰る!!!」と大声で叫ぶことが続きました。担当した医師も、脳梗塞の再発や半身麻痺からの転倒を懸念し、薬物治療は積極的には行わない方針となりました。

定期的な訪問を繰り返しながら、過去の仕事の話、好きな刑事ドラマの話、ラーメンの話など、少しずつ話題を広げていきました。ジョイント職員が臭気を気にせず、場面共有する事で「汚れてないから」と本人から座布団を勧めてくれるようにもなりました。会話が深まるにつれ、本人が大切にしていた仕事や家族、自分自身の身体の能力の喪失が、セルフネグレクトに至った理由となったことを共感し、自分を取り戻す過程の一つとして、清潔の援助を勧めてみました。入浴や散髪は頑なに拒否しましたが髭剃りと爪切りには応じてくれ、髭の中に埋もれていた自身の表情を見つめること、不便に感じていた爪が整うことで少しの笑顔も見れるようになりました。

変化のきっかけ

その後1年が経過しましたが、大きな状況の変化はなく数か月に一度精神科の受診、爪切りや髭剃りを繰り返し、部分的な清潔を保ちました。ある日の訪問時、本人が下痢便に塗れ睾丸の痛みを強く訴える事から、脱衣し確認した所、著明な睾丸の腫脹と周囲に強度の発赤を認めました。
基礎疾患に糖尿病があること、感染が命の危機につながる事を説明しましたが、受診は頑なに拒否され、代替案として、下半身のシャワー浴を提案しました。ジョイント職員が便塗れになりながらも介助してシャワー浴を行い、本人手持ちの軟膏を塗布し、連日訪問して同様の処置を行うことで症状は軽快していきました。その際全身の清潔を促す事で、母親の逝去後約4年ぶりの全身のシャワー浴を行う事が出来ました。

久しぶりのシャワー浴に快の刺激を感じたのか、ついでの散髪にも了解があり、支援者が散髪することで「仕事してた時の自分に戻った」と笑顔も認めました。

その後

それから、自分から進んで入浴や髭剃りをするには至っていませんが、支援者の促しには応じてなんとか清潔は保っています。ヘルパーとの関係も良くなりはじめ、会話も増えてきたことから調理援助も始めてもらい、本人の希望する食事も用意されており「今度はすきやき食べたい」等希望も表出しています。

高血圧や高血糖、内服管理などの問題も残っていますが「前に比べたら良くなった」とご自身で笑顔を見せ話されるようにまでなりました。